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記念講演会を開催しました!〈平成29年11月18日(土)〉

記念講演会「遠いつながり―小石川の家と野田宇太郎―」を開催しました!

11月18日(土)、野田宇太郎文学資料館特別企画展「野田宇太郎―激動の時代を駆けぬけた編集者―」記念講演会を開催しました。
作家・エッセイストの青木奈緖さんをお招きして、「遠いつながり―小石川の家と野田宇太郎―」という演題でご講演いただきました。

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講師の青木奈緒さん

青木奈緒さんは東京・小石川生まれで、学習院大学大学院修士課程修了後、ドイツに滞在され、帰国後の1998年、『ハリネズミの道』でエッセイストとしての活動を始めました。日本エッセイスト・クラブのベスト・エッセイ集に二度、選出されています。
文豪・幸田露伴(こうだ ろはん 1867~1947)は母方の曽祖父、作家・幸田文(こうだ あや 1904~1990)は祖母にあたります。そして母・青木玉(あおき たま)さんはエッセイストという、四代続く文筆業の家系です。

幸田露伴、幸田文との出会いは、野田にとって大きなものでした。戦時中、野田は、自身の編集雑誌「文藝」に露伴の「音幻論」を連載していましたが、それだけでも「文藝」の存在理由があると、誇りに思っていました。また、野田は、今まで文章を書いたことがなかった幸田文に、露伴の看病記を書くよう勧めました。そして執筆された作品「雑記」によって、幸田文は作家としてスタートし、二人の交友は長く続きました。当館には、幸田文が野田に贈った著書や手紙などが保存されています。

そのような縁から、今回、青木奈緒さんにご講演をお願いしました。講演会の告知と同時に、たくさんの申し込みをいただき、開催前から参加者の方々の期待と興奮が伝わってくるようでした。

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               講演に耳を傾ける参加者の方々

幸田家の四代目の文筆家として紹介されることが多い青木さんですが、露伴の妹は音楽家の幸田延と安藤幸、弟は歴史家の幸田成友や探検家の郡司成忠など、幸田家は多くの著名人を輩出しています。その母である「お猷(ゆう)様」こと幸田猷や父・幸田成延の出自、幸田文の生母「お幾美おっかさん」などについて、会場のスクリーンに映した家系図を示しながら詳しく説明されました。

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幸田家の家系図を紹介

幸田文と野田の出会いは、御茶ノ水駅でした。戦時中、空襲を避けるため慌ただしく挨拶を交わした最初の出会いについて、野田は著書『桐後亭日録』に詳しく書いています。青木さんは、その『桐後亭日録』から一部を朗読しながら、青木さんから見た祖母・幸田文と野田との関わりを語ってくださいました。野田の書いた「左書きと白足袋の幸田文」を朗読され、同じ場面について、幸田文がどう語っていたかなどを話していただきました。

また、青木さん自身と野田のつながりとして、青木玉さんの結婚祝いとして野田から贈られた魔法瓶が小石川の家でずっと使われていたことなどについてお話していただきました。野田が創始した「文学散歩」が全国に広がると、青木さんの住む小石川の家にも幸田家ゆかりの場所として「文学散歩」に訪れる人がたくさんいらしたそうです。

曾祖父、祖母、母から受け継いだつながりをどう芽吹かせていくか、心に蒔いた種がいつどんなかたちで芽吹くのか、幸田文の随筆『崩れ』の朗読を交えながら語る青木さんに、参加者の方々は深く聞き入っていました。

野田は著書『桐後亭日録』で、露伴の臨終について「清貧こそが不世出の文豪露伴の一人娘への遺産であり、あとに生きる者は自ら立ち上がらずにはいられない意志だけがそこに置かれていた」と書いています。青木さんはその部分を読み上げられ、幸田文『みそっかす』に出てくる露伴の言葉「人には運命を踏んで立つ力があるものだ」と通じるものがあると話されました。この言葉は、講演終了後、参加者の方々から「とても印象に残った」という感想を多くいただきました。

講演終了後は、質疑応答の時間を設けました。参加者の方々の質問に、冗談を交えながら答える青木さんに、会場からは時おり笑い声が上がりました。

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                   青木さんへ質問

当日は、講演会後にサイン会があり、会場内で青木さんの著書の販売を行いました。本は全て完売したため、購入できなかった希望者の方にはその場で予約していただき、後日青木さんのサイン入りの本をお渡しすることになりました。
サイン会では、参加者の方々が購入した本に青木さんのサインをもらったり、一緒に写真撮影をしたり、言葉を交わしたり、本当に楽しそうなご様子でした。

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たくさんの方にサイン会に参加していただきました

今回の講演会には、約120名の方にご参加いただきました。
講演会アンケートには、多くの好意的な感想や意見をいただき、大盛況のうちに終了することができました。講演会にご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

当日、青木さんがお召しになられていたお着物は、幸田文さんが着ていたもので、母・青木玉さんの著書『幸田文の箪笥の引き出し』で紹介されたものだそうです。美しい着こなしに、講演会参加者の方々も感嘆されていました。
講演会終了後に、青木さんから伺ったところによると、このお着物は幸田文が文筆で得たお金で最初に求めた着物だそうです。野田も幸田文がこのお着物を着た姿を確実に見ていただろうとのことで、"ご覧くださったら、きっと「なつかしいな」と思って頂けるはずです。そのために着て伺ったのに、ちゃんとお話しせずに終わってしまい、とても心残りです。"とおっしゃっていました。この着物を、幸田文はとても気に入っていて、少し歳が行ってからは、絣模様の赤いところを筆に墨を含ませて、色目を落ち着かせて着ていたそうです。

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              青木奈緒さんと「幸田露伴の夏羽織」

講演会当日は、会場内に「幸田露伴の夏羽織」を特別展示しました。これは、野田が露伴の形見分けで譲り受けたものです。講演会終了後、青木さんと一緒に写真を撮らせていただきました。

8月26日(土)より始まった特別企画展「野田宇太郎―激動の時代を駆けぬけた編集者―」は、11月28日(火)をもって、無事に終了しました。お越しいただいた皆様、本当にありがとうござました。