企画展「野田宇太郎が歩いた山口」が始まりました! 

2月21日(土)から平成26年度企画展「野田宇太郎が歩いた山口」が始まりました。

期間は5月10(日)までです。

野田宇太郎文学資料館では、平成8年「北九州の文学」から平成24年「筑後の文学」まで

九州各地の文学者を取り上げた企画展を開催してきました。

今回は、九州とも関わりの深い山口県を取り上げ、豊富な資料と共に野田宇太郎の足跡を追いながら、

野田の文学への情熱を皆様にご紹介します。

今回の企画展のチラシでもご紹介している

国木田独歩(くにきだ どっぽ)(1871〜1908)の妻・治子(はるこ)夫人から

野田宇太郎に宛てられた手紙です。

「治子」というのはペンネームで、本名は「治(はる)」です。

子どもの頃から詩集を好んで読んでいた野田でしたが、

国木田独歩だけは特別で、『武蔵野』は中学生の時の愛読書でした。

野田は、昭和31(1956)年3月に筑摩書房から出版された

『日本文学アルバム18 國木田獨歩』

の構成と解説を担当しています。

また、同じ年の10月には『六人の作家未亡人』という本を書き、

その中で治子夫人を取り上げています。

おそらくその縁で、このような手紙のやりとりが行われるように

なったのだと思われます。

国木田独歩は、千葉県銚子市の生まれですが、裁判所勤務であった父親の転勤について幼少期を

山口県内の各地で過ごしており、今回の企画展でも山口ゆかりの文学者として紹介をしています。

また、20代の青年期にも山口で過ごしており、岩国市を始め、山口県の各地が舞台となっている作品もあります。

実はこの手紙には、永田新之允(ながた しんのじょう)氏が治子夫人に宛てた手紙が同封されていました。

永田氏は、独歩と同じ小学校に通った学友で、初代岩国市長でもあります。

永田氏は、岩国市に独歩の記念碑を建てる計画について記し、そこに刻む独歩の履歴について治子夫人に

確認をして欲しいと手紙の中で依頼しています。

しかし、治子夫人は、独歩の履歴については分からなかったので、代わりに野田に確認してもらうため、

上の手紙を書いたようです。

余談ですが、永田氏が手紙の中で記した記念碑について、岩国市内の独歩碑を確認した所、該当するものは

ありませんでした。

おそらく、この話は実現しなかったものと考えられます。

治子夫人の手紙、永田氏の手紙ともに楷書にした分も、のぞきケースにて、展示をしています。

さて、こちらは、展示室のパネルにも使用している、

野田宇太郎撮影の写真です。

場所は、山口県山口市仁保(旧吉敷郡仁保村上郷)です。

ここは、私小説家

嘉村礒多(かむら いそた)(1897〜1933

)の故郷で、野田はこの地を昭和41年に訪れています。

野田は、嘉村礒多に強い関心があったらしく、取材資料として

残された山口の複数の地図には、嘉村礒多の生家や墓の位置に

印や書き込みがあります。

この場所を見た時の野田の興奮は以下のように語られています。

"ひっそりとした人気ない古びた小学校の門前から、上郷への道は、ほとんど一直線に、わたくしの前方に伸び、

その果ては両側の山がついにしっかりと結びあったあたりに細く消え去っていた。

ジープから降りていたわたくしは、その光景に思わず「ほう!」と声を出した。

「途上」という礒多の小説の題名が、きらりとひらめくように思い出された。

「途上!本当にその通りの道だ」とわたくしは一人呟いた"

『野田宇太郎文学散歩 21上 山陽文学散歩』〔昭和57(1982)年 文一総合出版〕より

この写真は「途上」の文章とともに、パネルでご紹介しています。

また礒多の『途上』〔昭和7(1932)年、江川書房〕も展示しています。

さて、こちらの写真も野田宇太郎が撮影したものです。

どこを写したものでしょうか。

正解は、岩国市の錦帯橋を下から撮ったものです。

実は、野田が撮影した山口県の写真の中で最も多く枚数があるのが、錦帯橋の風景です。

五連のアーチをおさめたショットはもちろんのこと、錦川に映る錦帯橋や橋の上からのものなど、

野田がこの美しい橋に如何に心ひかれたかが、残された写真からは伝わってきます。

その木材の組み方にも興味を感じたようで、錦帯橋を下から写したものも何枚かあります。

錦帯橋がかかる錦川は、国木田独歩の「河霧」の舞台であるとされています。

野田は、錦帯橋の上から錦川を眺めて、「河霧」の世界に浸りました。

最後に野田自身の写真を一枚ご紹介します。

取材先で野田が写った写真はそれほど多くなく、その中には、

どこで撮影されたのか分からないものもあります。

しかし、左の写真は、背景にしっかりと下関市の功山寺、国宝仏殿が

写っており、撮影場所が特定できる一枚です。

功山寺は高杉晋作挙兵の地としても有名で、ちょうど野田の視線の

先あたりには、高杉晋作の像があったと思われます。

この地で維新の歴史に思いを馳せていたに違いありません。

今回は、写真資料を中心に、ご紹介しましたが、次回は書籍の資料についてもお知らせしていきたいと思います。

期間中一部の作品の展示替えを行いますので、ご了承下さい。

(展示替えは月の第3月曜日に行います)

また、3月22日(日)14時から志學館大学教授、原口泉先生による

記念講演会「山口の文学風土―吉田松陰の妹・お文―」を行います。

場所は小郡市文化会館小ホールです。

ぜひご参加下さい。

参加ご希望の方は、野田宇太郎文学資料館直通(0942-72-7477、受付時間8:30〜17:15)までご連絡下さい。

場所などの詳細については、チラシをご覧ください。

皆様のご来館を心よりお待ちしております。