企画展「野田宇太郎の美術散歩」の展示紹介A 

現在、野田宇太郎文学資料館では、平成27年度企画展「野田宇太郎の美術散歩」を開催中です。

平成28年1月5日(火)からは、後期展示が始まりました。

後期展示では主に、挿絵原画や手紙などを入れ替えています。

前回は展示の全体の様子をご紹介をいたしましたが、今回はそれぞれの画家のコーナーごとに展示のご案内をします。

まず、最初のコーナーでは「野田宇太郎と美術」として、

野田宇太郎と美術との関わりが分かる資料を展示しています。

野田宇太郎と美術について語る際に外せないのが、「パンの会」の

画家との交流、そして編集者として知り合った画家との交流です。

ここでは、「パンの会」に関する野田宇太郎の著作と野田の編集雑誌

「文藝」、「藝林フ歩」などを展示しています。

また、左上の色紙は、作家の寄せ書き色紙なのですが、

そこには"パンの会創始者の1人石井柏亭"という言葉が書かれています。

次は、野田宇太郎を語る上で欠かせない存在の

木下杢太郎(きのした もくたろう)です。

木下杢太郎(1885〜1945)の本名は、太田正雄(おおた まさお)です。

医者であり、画家であり、詩人、小説家など、そのマルチな才能で

多方面で活躍した人物です。

野田宇太郎は、木下杢太郎をとても尊敬しており、彼についての研究を

生涯に渡って続けていました。

残された資料も多く、木下杢太郎の関連資料だけでも

展示室を埋め尽くせるほどの量があります。

これらは、野田宇太郎が書いた木下杢太郎についての著書や、

木下杢太郎自身の著書です。

野田宇太郎の編集雑誌「藝林フ歩」は、木下杢太郎の著書

「藝林フ歩」が由来となっています。

(写真上の水色の本がそうです)

この他にも木下杢太郎が描いた「柴扉春秋(さいひしゅんじゅう)などの

原画も展示しています。

織田一磨(おだ かずま)のコーナーです。

織田一磨(1882〜1956)は、石版画家です。

石版画とはリトグラフとも呼ばれる版画の技法の一つです。

細かい線などを表現することが可能で、描写したものをそのまま

版画として表現することができます。

野田が所蔵していた織田一磨に関する蔵書の他、織田一磨が

『新東京文学散歩』のために描いた挿絵の原画も展示しています。

また、織田一磨デザインの野田宇太郎の蔵書票(エクスリブリス)も

あります。

木村荘八(きむら しょうはち)の展示です。

(写真右上は織田一磨の原画です。)

木村荘八(1893〜1958)は、洋画家、随筆家です。

木村は、永井荷風(ながい かふう)の『墨東綺譚(ぼくとうきたん)』

(※「ぼく」は「さんずい」に「墨」)の挿絵を描いた人物としても有名です。

木村荘八は、とても筆まめな人物であったようで、野田の手元にも

多くの手紙や葉書が残されています。

お世辞にも達筆とは言えませんが、文章はとても活き活きとしており、

時には絵も添えられています。

木村荘八のコーナーでは、手紙や葉書を中心に、展示をしています。

谷中安規(たになか やすのり)の展示です。

谷中安規(1897〜1946)は、版画家です。

谷中安規については、以前こちらのホームページでもご紹介しましたが、

野田宇太郎の思い入れの強い画家の1人と言っても良いと思います。

今回は谷中が装幀した本の他、「藝林フ歩」に掲載された遺稿

「かほるぶみ」や、亡くなる前に野田に宛てた手紙などを展示して

います。

奇行で変わり者扱いをされることもある谷中ですが、その独特の世界は、

やはり見る者を惹きつける力があります。

今回最後にご紹介するのは向井潤吉(むかい じゅんきち)です。

向井潤吉(1901〜1995)も洋画家で、特に古い民家を描くことを

ライフワークとしました。

野田の手元には向井潤吉からの手紙や葉書が残されており、

そこには、自分の絵についての想いなども書かれています。

また、向井は鰹の叩きが好きだったと見えて、鰹の叩きの食事会に

野田を誘っています。

こういった交流が分かる資料など、向井潤吉が描いた戯画の色紙、

手紙、葉書を中心に展示をしています。

それぞれの画家について、野田との関係など、まだまだご紹介したいエピソードが沢山ありますが、

とても収まらないので、ここでは、展示のご紹介のみにとどめておきます。

ぜひ、展示室に足をお運びいただき、野田とそれぞれの画家たちの交流についてご覧下さい。

また、まだご紹介していない画家についても、こちらのホームページでご案内したいと思います。

皆様のご来館を心よりお待ちしております。