11月の展示替えを行いました その2(11/18〜) 

11月18日(火)から中央ステージ、展示ケース、壁面展示スペースの展示が替わりました。

今回のテーマは「子どもへのまなざし〜子どものための本を作った作家たち」です。

当館の蔵書の中から、詩集や童謡集、お伽話など子ども向けに書かれた本を展示しています。

また、童画家 武井武雄や川上澄生のトランプもご紹介しています。

こちらは、壁面で展示している野田宇太郎が文を書いた

『イワンの馬鹿』〔昭和21(1946)年12月、東西出版社〕です。

もともとはロシア民話で、日本ではレフ・トルストイ(1828〜1910)が

書いたものが元になっていることが多く、この本もそうです。

実直な主人公イワンが、狡い人間や悪魔の策略に打ち勝ち、

最後は幸運を手に入れるというお話で、数ページの薄い本ですが、

中はカラ―で、表紙も厚くしっかりとしています。

野田が書いた児童書というのはそれほど多くないのですが、子ども向けの場合、常よりいっそう言葉に

気を遣っているように感じます。

子ども向けだからといって、むやみに簡単な言葉を使ってはいません。

ですが、ひらがなでの句読点の位置に気を配り、読みやすくしています。

また「おごちそう」など一つ一つの言葉がとても丁寧に扱われており、子ども向けの文章にも野田らしさが窺えます。

国語問題などで、日本語の乱れにも敏感であった野田だからこそ、子どもにきちんとした言葉を伝えたいとの

思いが強かったのでしょう。

こちらも野田の詩の中では珍しい子ども向けの詩です。

「日本の子ども」〔昭和20(1945)年10月、國民圖書刊行會〕に

掲載されています。

ご紹介するには、少々時期はずれですが「アキマツリ」という

詩です。

リズムが良く、お祭りの楽しさが溢れています。

壁面では、この他、同じ雑誌に掲載された「七五三」という

野田の詩も展示しています。

展示ケースからは、内田百フ(うちだひゃっけん、1889〜1971)

『王様の背中』〔昭和9(1934)年9月、樂浪書院〕を

取り上げたいと思います。

この本の装幀は版画家 谷中安規(たになかやすのり、1897〜1946)

によるもので、この『王様の背中』で谷中は高い評価を得ました。

こちらは裏表紙です。

表紙の中にも物語性が感じられます。

『王様の背中』には、いくつかのお話があるのですが、

それぞれの話ごとにデザインががらりと変わり、

とても凝った挿絵がついています。

 

表題作「王様の背中」の部分の挿絵です。

表紙とはうって代わって、画面をみっしりと不思議な絵が

埋め尽くしています。

谷中は内田百フのほか、佐藤春夫(1892〜1964)などの

本の装幀も手掛けました。

野田宇太郎は谷中と親交があり、彼との書簡も残されています。

谷中は常に貧乏で、亡くなった原因も栄養失調でした。

戦後、消息を気にしていた野田に手紙をよこし、ふらりと現われた谷中はぼろぼろで、

そんな彼を心配した野田は、原稿料の出る文芸誌「藝林フ歩」の仕事を紹介しました。

それから、ほどなく谷中は亡くなるのですが、その死を惜しんだ野田は「藝林フ歩」で谷中の追悼をしています。

雑誌「連峰」の11号〔昭和54(1979)年5月、永田書房〕で「谷中安規の最後消息」という文章を寄せ、

谷中について"まさに鬼才の名に價(あたい)する幻想画家"、"画人谷中安規の研究も盛んになる時が

必ず来るだろう"と書いています。

事実、野田の言葉どおり、近年、谷中の注目度は増し、谷中の展覧会が開催されることも多くなりました。

北原白秋(1885〜1942)『兎の電報』〔大正10(1921)年5月、アルス〕

です。

北原白秋は「赤い鳥」で詩を発表するなど、子ども向けの詩や

童謡を多く手掛けています。

 

この本の前書きには、面白いことに、白秋が家を立ててからのひと騒動が、子ども向けに語られています。

当時、お寺の境内に木兎(みみずく)の家という名前の住居を建てて住んでいた白秋は、

詩集『とんぼの眼玉』〔大正8(1919)年10月、アルス〕にある挿絵のような赤い屋根の家に住みたいと

思うようになります。

しかし、家を建てることでお寺の住職と揉めたあげく、家を飛び出した白秋に呆れて奥さんは家を出て行って

しまいました。

1人ぼっちになった白秋はそれほど家に執着がなくなったものの、今更やめることもできずに家は完成しました。

それからしばらくして、新しい奥さんが白秋のもとにやってきました。

というような内容です。

奥さんが出て行ったくだりでは「遠いお国に行つて了ひました」と表現し、新しい奥さんが来るというくだりでは

「寂しいお伽話の王様の木兎のをぢさんに、お妃の新しい木兎のをばさんが來て呉れると云ふ事になつた」

と書いています。

前書きの文中、1人になった時、何度も「寂しかった」と繰り返した白秋は最後にこう記しています。

「私は今に赤い瓦のこの家の屋根裏を木兎の學校にして、その子供たちと童謡を作つたり歌つたりして

遊びたいと思つて居ります。 木兎のをぢさんを、もうもう一人ぽつちにしてはいけませんよ。」

こちらが、『とんぼの眼玉』の挿絵です。

おそらく白秋の言う赤い屋根の絵は、これだと思われます。

とても可愛らしく、お伽の国に出て来るような家です。

こんな家に住んでみたいと思う白秋の気持ちも分かる気がします。

子どもへ優しい眼差しを向ける白秋の心には、少年のような

部分があったのでしょう。

中央展示スペースでは、

野田宇太郎直筆詩稿「夜あけ」〔初出『黄昏に』昭和29(1954)年7月、長谷川書房〕

展示しています。

大人はもちろん、お子様でも楽しんでいただける展示になっています。

ぜひ、野田宇太郎文学資料館へ足をお運びください。 ご来館を心よりお待ちしています。