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ギャラリートークを開催しました(2月23日)

令和2年度企画展「碑に込めた思い―野田宇太郎と文学碑―」ギャラリートークを開催しました

令和2年度企画展「碑に込めた思い―野田宇太郎と文学碑―」は、2月28日をもって終了いたしました。コロナ禍で一時は開催も危ぶまれましたが、無事に終えることができました。皆様に感謝申し上げます。

2月23日(火・祝)、専門員によるギャラリートーク(展示説明)を行いました。

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ギャラリートークでは、資料に展示している解説文だけでは説明できないような詳しい話もしていますが、時間の都合もあり、割愛しながらお話しています。今回は、ギャラリートークで取り上げた資料について、さらに詳しくご紹介します。

森鷗外(もり おうがい:1862~1922)は、野田宇太郎の文学の出発点ともいうべき文豪です。戦時中、森鷗外の旧邸「観潮楼」(かんちょうろう)が空襲で焼失したのをきっかけに、野田はベストセラーにもなった紀行文学「新東京文学散歩」を書き始めました。
その森鷗外に関して、野田は4つの文学碑建立に関わっています。「観潮楼」跡に建立した「沙羅の木」詩碑、小倉北区の「森鷗外文学碑」、東京都三鷹の「森鷗外遺言碑」、島根県の「森鷗外遺言碑」です。
昭和25年に建立された「沙羅の木」詩碑は、完成するまで4年かかったこともあり、野田はその苦労をいくつかの記事に書き残しています。

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佐藤春夫『観潮楼附近』(S32)‐表.JPG

こちらは、今年度に当資料館が購入した佐藤春夫(さとう はるお:1892~1964)の短編集『観潮楼附近』(昭和32年 三笠書房)です。佐藤春夫は、明治から昭和にかけて長く活躍した詩人・作家で、與謝野鉄幹永井荷風らに文学を学び、森鷗外とも交流がありました。「沙羅の木」詩碑や鷗外記念館の建立にあたって、野田の誘いを受けて発起人の一人になりました。

この本の表題作「観潮楼附近」は、森鷗外旧邸「観潮楼」が焼失してから跡地に鷗外記念館が計画されるまでの過程を、佐藤春夫の若いころの思い出などを交えて描いた短編小説です。随筆ではなく、あくまでも小説として書かれており、「野田宇太郎」が実名で登場しています。

小説の野田宇太郎は「詩人」で「有能なジャアナリスト」、そして九州弁の血気盛んな人物として描かれています。昔の感慨にふける佐藤春夫の横で、騒がしく鷗外についてまくしたてるような、少し滑稽みのある表現が続くこともあり、野田は「観潮楼跡雑記〈詩碑が出来るまで〉」の中で「佐藤春夫といふ作家の、ヒューマニテイに疑ひを持つやうになり」と、不信感を持ったことを書いています(その後に和解し、「森鷗外記念会」のメンバーとして、共に会の活動を支え続けました)。

野田本人は気持ちを傷つけられたという小説「観潮楼附近」ですが、「文壇の大御所」と呼ばれた作家・佐藤春夫から見た野田宇太郎を読むことができる貴重な資料といえます。

野田宇太郎文学資料館は、現在、展示替えのため3月6日(土)まで休館中です。7日(日)から、常設展に戻ります。展示室の一角で、テーマ展示「作家・帚木蓬生」が始まりますので、どうぞお楽しみに。