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ギャラリートークを開催しました(10月9日)

企画展「野田宇太郎が遺した文学史の道標」開催中

野田宇太郎文学資料館では、令和3年度企画展「野田宇太郎が遺した文学史の道標」を開催中です。10月9日(土)、企画展を担当した専門員による展示解説を行いました。

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(ギャラリートークの様子)


野田宇太郎の代表作「文学散歩」は全26巻に及びますが、その始まりとなったのは今から70年前に刊行された『新東京文学散歩』(昭和26年6月、日本讀書新聞)でした。

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(全26冊が揃うと壮観です)

戦後の日本は大変な混乱の中にありました。そんな荒れた日本の中で、文学者として何かできないかと考えていた野田は、森鷗外という野田にとって常識ともいえる文学者が忘れられつつあることに愕然とします。忘れられてはならない、未来に遺さねばならない、その思いから「文学散歩」は誕生しました。東京の街を歩き、日本讀書新聞に「新東京文学散歩」と題し発表します。これが、生涯にわたって野田が取り組むことになる「文学散歩」の始まりでした。

展示室入ってすぐのステージ上にある展示ケースでは、野田が『新東京文学散歩』取材時に使用したと思われる、昭和25年~26年の手帖を展示しています。
そのうちの一冊、昭和26年頃に使用していたものには、「近代文学の母体となった東京―/その東京も無残に打ち毀されたが、/各地に散在した文学の跡はどうなつてゐる/だらうか。この関心に答へて半歳に亙つて調べ渡つたのが本書であり/また、近代文学地理として我国ではじめての/試みに成功したのが本書である。」と書かれています。『新東京文学散歩』を紹介した一文と考えられます。
野田は、「着古した外套のポケットに黄色の鉛筆一本と、小さな手帳、それに一冊の新東京地図」をしのばせ、そんな自身の姿を、かつての「日和下駄」での永井荷風の姿と重ねました。

DSC04249.JPG(ステージケースでは、手帳のほか野田が所蔵していた地図の類も展示しています)

「文学散歩」がシリーズになるにつれ、「文学散歩」についての取材も受けるようになりました。これは『新東京文学散歩』から30年後に「郵政」昭和56年6月号に掲載された記事です。30年経ち、加齢に伴う身体の変化を感じつつも、後の人々のための記録を遺すことへの熱意が書かれています。

DSC04247.JPG(「郵政」昭和56年6月号)

奥ののぞきケースでは、織田一磨氏による『新東京文学散歩』の挿絵の原画を展示しています。取材当時はGHQによって東京の街を自由に撮影して回ることができなかったため、野田は画家の織田一磨氏と共に歩きました。どれも当時の様子がうかがえる貴重な資料です。

DSC04239.JPG(展示している織田一磨氏の原画の一部)

10月20日(水)に展示替えを行い、織田一磨氏の原画はすべて入れ替えますので、まだご覧になっていない方はお早めにお越しください。

次のギャラリートークは11月23日(火)を予定しています。今企画展のギャラリートークは、次が最後です。どうぞ、野田宇太郎文学資料館までお出かけください。