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「野田宇太郎―激動の時代を駆けぬけた編集者―」見どころ紹介

野田宇太郎文学資料館特別企画展 見どころ紹介

今回は、現在開催中の野田宇太郎文学資料館特別企画展「野田宇太郎―激動の時代を駆けぬけた編集者―」の展示のなかから、ぜひご覧いただきたい資料をご紹介します。

次郎物語.JPG下村湖人『次郎物語』昭和16(1941)年2月 小山書店

まず、ご紹介したいのは、下村湖人(しもむら こじん)『次郎物語』です。野田宇太郎は、下村湖人の娘婿で、野田とも交流のあった明石譲寿(あかし たかひさ)から、『次郎物語』の原稿を受け取ったことをきっかけに、その出版に尽力します。野田は広告文を書き、自分の本でも出版するかのように懸命になったといいます。

表紙は版画家の谷中安規(たになか やすのり)が描き、当時としては上質の紙を使い、とても良い本に仕上がっています。野田は、自身が関わった『次郎物語』を大切に手元に保管していたのですが、戦時の混乱で無くしてしまい、後年、それを知った人物から野田にこの本が贈られたそうです。『次郎物語』は出版後すぐに映画化されたこともあり、装幀を変えた版がその後いくつも出版されていますが、今回展示している資料は、出版当時の最初の版のもので、とても貴重なものです。

西條八十詩集.JPG

西條八十『西條八十詩集』昭和2(1927)年12月 第一書房

次にご紹介するのは、西條八十(さいじょう やそ)の詩集で、第一書房から出版されたものです。野田は、困窮していた青年時代に、第一書房の本だけは購入してしまうほど、この出版社の本に惚れ込んでいました。この本の出版に野田が関わったわけではないのですが、野田の憧れの出版社であったというのも納得できる、豪華な装幀の本です。

サンテグジュペリ三冊.JPG

サン・テグジュペリ著/堀口大學訳『戰ふ操縦士』『夜間飛行』『空の開拓者』

上の三冊は、サン・テグジュペリの著作を、堀口大學(ほりぐち だいがく)が訳をした本で、いずれも河出書房から出版されたものです。昭和19(1944)年に出版され、この本の装幀は、三冊とも野田宇太郎によるものです。(『空の開拓者』は『人間の土地』を改題したもので、一時期だけこのタイトルで出版されていました。)

河出書房で働いていた野田は、ある日、航空部隊の青年将校のために、至急何か良い航空文学を出版して欲しいと依頼されます。野田は、すでに第一書房から出版されていた『夜間飛行』と『人間の土地(空の開拓者)』、それに加えて『戰ふ操縦士』を提案します。軍からの注文ということで、物資不足にも関わらず、これらはすぐに出版の運びとなりました。実は『戰ふ操縦士』は、反ナチスを打ち出したもので、決して当時の日本の時局に沿うものではなかったのですが、出版を急いだことと、軍からの注文ということで内容が見逃されたのか、野田には後に軍から感謝状が届きました。

藝林閒歩露伴先生記念号.JPG野田宇太郎編「藝林閒歩 第2巻第6號」昭和22(1947)年8月 東京出版

「藝林閒歩(げいりんかんぽ) 第2巻第6號」は「露伴先生記念號」として、幸田露伴(こうだ ろはん)の80歳の記念号として刊行されるはずでした。しかし、この頃は物資不足などにより、印刷などが遅れていたこともあり(本来雑誌は、一月前に発売されるものなので、8月号は通常なら7月中に刊行されるはずでした)、この号が出版されたのは、8月に入ってからでした。幸田露伴は7月30日に亡くなっており、この号を見ることはありませんでした。

この号で野田は、幸田露伴にゆかりの人物に露伴についての執筆を依頼しました。露伴の娘である幸田文(こうだ あや)には、露伴の看病記を書くように野田は頼みます。そうして書かれた「雑記」は、素晴らしい文章で、これを契機に幸田文には隨筆の依頼が舞い込むようになり、やがて作家への道を歩むことになりました。また、この号は、幸田露伴の死と刊行のタイミングが重なったこと、幸田文の文章が評判になったことで、「藝林閒歩」としては珍しく増刷されたそうです。

今回ご紹介した4点の資料は、貴重なことはもちろんですが、資料それぞれのエピソードが、編集者としての野田の姿を現しています。
11月6日(火)より、中央ステージの原稿の展示入れ替えを行いました。展示室には、まだまだご紹介しきれないたくさんの資料があります。それぞれの資料のエピソードを解説で展示しています。

11月18日(土)には青木奈緒さんをお迎えして講演会も予定しています。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。