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常設展の展示替をしました~【ふるさとは稲妻形に光る】~2025年5月・6月・7月

野田宇太郎は松崎の構口(かまえぐち)の道の形状を稲妻形と称し、稲妻=ふるさと松崎を連想させる詩や文章を残しています。
今回は【ふるさとは稲妻形に光る】と題し、野田のふるさと松崎に対する思いをつづった記事や帰省の際に自らが撮影した松崎や母校・立石小学校の写真を展示しています。

野田は、福岡県小郡市松崎(当時は三井郡立石村大字松崎)で誕生し、立石尋常小学校(現・小郡市立立石小学校)、朝倉中学(現・福岡県立朝倉高等学校)を卒業、早稲田第一高等学院へ進学します。しかし病気のため止む無く退学し、故郷松崎へと戻ります。その後、20代前半で生活の拠点を久留米に移し、東京の出版社への就職を機に上京、74歳で亡くなるまで東京で暮らしました。

しかし、野田は折に触れ両親や祖父母の眠る松崎へ墓参りのために帰省し、生涯ふるさと松崎や友人、恩師などを大切にしました。

・ステージケース(資料館展示室正面)

展示している「くろつち」第44号には、野田が「ふるさとへの便り―立石小学校の生徒たちへ―」と題し、母校の後輩となる立石小学校在校生へ向けて寄稿しています。

寄稿文には、「ふるさとは福岡県三井郡立石村大字松崎九二一番地であると今でもすらすらと言えること」「松崎は小郡の中でも最も歴史のはっきりとした由緒ある昔の城下町であり宿場町であること」「立石小学校在学中に様々な先生に出会えたこと」「年に一度訪れるふるさとが一つの目的に向かって歩きつづける勇気を与えてくれること」などが書かれており、最後に「わたくしはいつも皆さんと一緒にいるのです。わたくしはいつでも松崎の野田宇太郎です。」と締めくくられ、母校の後輩たちへのエールを送っています。

 DSC_0004.JPG学校誌「くろつち」第44号(1964年、三井郡立石小学校)

・のぞきケース(電照パネル裏)

電照パネル裏ののぞきケースでは、野田がふるさと松崎や家族・恩師・友人達との思い出を書いた切抜記事を展示しています。

こちらの切抜記事は、すべて野田自身が大切に保管していたものです。
雑誌「望星」に「藤田四郎先生」という題目でという掲載された文章です。藤田四郎先生は、野田が立石尋常小学校1年の時の担任の先生です。

   帰省したわたくしは、すぐに二、三の友人と連れ立って先生を見舞った。実に四十

   五年振りの対面だった。半身不随で床につかれていた先生は家人に助けられて半

   身を起し、傍に置かれていた古びた一枚の大型写真を膝の上に乗せて、「これが卒

   業写真」といいながら、全部で八十人程のあどけない少年少女の中から、すぐに一

   点を指されて、「これが……」と言って、わたくしを見ながらにっこり笑われた。

 藤田先生と45年振りの再会をした時に、野田が撮影した藤田先生の姿とアルバムの写真もパネルにして一緒に展示しています。
他にも、野田が小学生だった時の思い出を書いた記事なども展示しています。

※のぞきケースに展示している切抜記事の内容を冊子にまとめ、展示室入ってすぐ左手のテーブルの上に置いています。是非、展示室内の椅子に腰かけて野田の松崎の思い出などをお読みください。

・壁面

壁面には、野田が撮影したふるさと松崎を中心とした写真をパネルに加工して展示しています。同じアングルで今年の5月13日に資料館職員が撮影したものも並べています。
今も昔も変わらないもの、変化したものなどを見比べてみてください。特に南構口は全4枚の写真パネルとなり、道路が未舗装→メイン道路のアスファルト舗装→脇道を含めた全面アスファルト舗装といった変化を見ることができます。

DSC_0003.JPG

壁面の様子

 ◆テーマ展示【ふるさとは稲妻形に光る】は7月15日(火)までの展示です。

また、7月24日(木)からは令和7年度野田宇太郎文学資料館企画展【写真で見る文学散歩 九州・沖縄編】がスタートいたします。タイトルどおり、野田が文学散歩取材旅行の際に自らが撮影した写真を展示し、昭和2829年に刊行された『九州文学散歩』『続九州文学散歩』を底本に文学散歩を紹介する企画展です。
どうぞお楽しみに!

【2025.05.25 T】