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常設展の展示替をしました~【丸山豊と野田宇太郎】~2026年4月

福岡県が生んだ詩人・丸山豊(19151989)は、野田宇太郎らと詩誌「驕児(きょうじ)」や「母音」を創刊し、後の多くの詩人たちに影響を与えました。
今回は、丸山と野田が久留米で初めて会った昭和51930)年から、野田が東京で編集者になるまでの10年間の二人の軌跡を貴重な資料とともに展示します。医師で詩人であった丸山豊の生涯と、編集者で詩人であった野田宇太郎との生涯にわたる友情も感じていただける展示となっています。

■ステージケース展示

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【丸山豊自筆原稿「水のある風景」】

上の写真は、展示室入って正面のステージケースです。
丸山豊の詩「水のある風景」(『微安心』1989年 国文社 収載)の自筆原稿2枚を展示しています。

■壁面展示

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【丸山豊と野田宇太郎の年譜】

壁面展示では、丸山豊と野田宇太郎のプロフィールと、2人の年譜をパネルにして展示しています。また、丸山、野田、それぞれの全詩集と詩集以外の代表作も展示しています。

■覗きケース展示 

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 【丸山と野田の久留米時代の刊行雑誌・刊行図書】

野田は、昭和41929)年に早稲田大学に入学したものの病気で学業を断念、帰郷し療養生活に入ります。
文学以外に生きる道はないと決意した野田は、翌年、破産した実家の後始末をして久留米に出ました。
当時の久留米は商都、軍都として筑後の中心をなしていましたが、坂本繁二郎、青木繁、古賀春江を輩出した芸術的土壌の中で、文学や絵画を志す青年達が集まり、青春のエネルギーをぶつけあっていました。
そうした中、21歳の野田は自身が経営する小さな文房具店で、当時明善中学校に通っていた15歳の丸山豊と知り合います。
二人は、同人誌「街路樹」を中心に旺盛な詩作活動をはじめ、詩誌「日時計」や「ぽえむ」を刊行、以来野田と丸山の「兄弟の結びつき」という深い友情は最期までかわることはありませんでした。

覗きケースでは、丸山と野田が久留米時代に刊行した雑誌や詩集を展示しています。

同人誌「街路樹」創刊號(昭和561日 街路樹社)

詩誌「日時計」第3輯(昭和61025日 靑木勇)

丸山豊∥著「玻璃の乳房」(昭和910月 ボアイエルのクラブ)

野田宇太郎∥著「音樂」(昭和102月 ボアイエルのクラブ)

機関誌「仕事部屋」第3輯(昭和101230日 リベルテの會)

丸山豊∥著「よびな」(昭和1012月 よびな刊行会)

詩誌「驕兒」第1冊(昭和10103日 丸山豊方)

雑誌「文學會議」創刊號(昭和1248日 池上憲介)

詩誌「糧」創刊號(昭和11720日 糧發行所)

詩誌「抒情詩」第2號(昭和15310日 糧發行所)

これらの活動が、戦後久留米の街で丸山の呼びかけによって生まれた詩誌「母音」へと繋がっていきます。
「母音」は戦後の地方詩壇で最も力を持っていた同人誌で、安西均や谷川雁、森崎和江、松永伍一、川崎洋など「久留米抒情派」と呼ばれる詩人たちを世に送り出しました。 

テーマ展示「丸山豊と野田宇太郎」は55日(火)までの展示です。皆様のお越しをお待ちしています。

2026.04.02 H