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編集者・野田宇太郎 と 作家・三島由紀夫

野田宇太郎文学資料館は現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しています。

そこで、本来であれば4月からテーマ展示予定だった資料をこちらでご紹介したいと思います。

三島由紀夫(みしま ゆきお:1925~1970)といえば「金閣寺」を思い浮かべる方も多いかと思いますが、今から75年前に発表された「エスガイの狩」という作品をご存知でしょうか?

これは、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの父・エスガイの青年時代を描いた物語で、三島が商業文芸誌に発表した初めての作品です。掲載されたのは、野田宇太郎が責任編集者を務めていた文芸雑誌『文藝』第2巻第5号(昭和20年5月 河出書房発行)。当時、まだ東京帝国大学の学生だった三島を、作家として世に送り出したのは野田宇太郎でした。

その当時のことを野田は、寺田博 編『文芸』第10巻第2号(昭和46年2月 河出書房新社発行)の「三島由紀夫特集」に寄せた「大雪の日に」で描いています。

 

(「大雪の日に」抜書)

三島が初めて野田の元を訪ねて来たのは昭和19年。恩師の栗山理一氏と清水文雄氏の紹介でした。野田は三島の才能を認めるも、正面から褒めることはしませんでした。「文学は才能がすべてではない」という考えによるものです。
昭和20年、志賀直哉(しが なおや・1883~1971)が三島の作品を「夢だ、現実がない」と否定していたことを野田は三島に伝え、むしろ野放図に夢をむさぼった小説を書くことを提案します。すると間もなく、交通機関が止まってしまうほどの大雪の日に、三島は「サーカス」と「エスガイの狩」という短篇2編を持って、河出書房の野田の元を訪ねてきました。雪にまみれ真白になって原稿を届けに来た三島の姿に野田は心動かされます。三島を勇気づけるために、また、発表によって三島という作家が少しでも知られたらよいという気持ちで、「エスガイの狩」を『文藝』(第2巻第5号)に掲載しました。

 

残念ながらこの後、野田と三島の交流はなくなってしまったようです。
野田が三島という作家をどうとらえていたか、また当時唯一刊行していた文芸雑誌編集者としての野田の姿勢がうかがえます。

上記資料について、より知りたいと思われた方はぜひご連絡ください。ただし、現在休館中で開館時期は未定です。来館される際は事前連絡を基本とさせていただいております。来館される際は、必ず事前にお問い合わせ下さい。

開館日が決まりましたらHP・展示室前掲示板でお知らせいたします。

(追記)令和2年7月13日(月)より再開館しました。