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7月20日に野田宇太郎は没後40年を迎えました(2024年7月)

1984(昭59)年7月20日に野田宇太郎は心筋梗塞で亡くなりました(享年74歳)
今年は没後40年の節目の年となります。

野田家代々の墓地は、小郡市松崎の旧松崎城の濠跡近くにあります。
もともと周辺一帯が墓地でしたが、墓地移転でほとんどの墓石が移動しました。
野田宇太郎は「自然と歴史の保護といふ考へもあつてそれに応じてゐない」と、墓地移転を断わったことを『母の手鞠』(新生社 昭和50年)に書いています。
そのため野田家の墓石だけが、現在も竹林の中に残っています。

1990(平2)年、野田宇太郎の7回忌を機に、神奈川県相模原市の青柳寺より分骨して墓地を整備し、新たに墓塔や「花一期一会詩」の碑を建てました。
墓地の設計は、生前の野田宇太郎と親交があり、野田宇太郎詩碑「水鳥」を設計した九州芸術工科大学の由良滋教授(現在は名誉教授)です。

今年も野田宇太郎の命日を前に、野田宇太郎顕彰会が墓地周辺の草刈りや掃除を行いました。
そして、顕彰会会長の加地良光(小郡市長)をはじめ、関係者が野田の墓前で手を合わせました。

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野田宇太郎は詩「展墓歌」で、墓地に葬られた父母について「ひとり子のわれのみ待ちてねむり給ひし」と、うたいました。
ふるさと松崎の静かな竹林の墓地で、今は野田宇太郎も両親・先祖とともに眠っています。