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野田宇太郎と映画

 野田宇太郎と映画

 意外に思われるかもしれませんが、野田宇太郎は映画好きでした。著書『母の手鞠』[昭和50(1975)年 新生社]では、「わが映画歴」というタイトルで、自分の青春時代に見た名作や、映画制作をしてみたいと思っていたことなどを書いています。また、戦時中、小山書店で編集者をしていた野田が出版に携わった下村湖人『次郎物語』映画化のエピソードも紹介しています。

 野田がはじめて映画製作の現場を訪れたのは、昭和16(1941)年、島耕二監督によって映画「次郎物語」が撮影されている時のことです。この現場訪問について、野田は自分の編集雑誌「新風土」12月号(昭和16年12月 小山書店)に、「撮影所に次郎を訪ふ」というタイトルで、詳しい見学記を書いています(※)。この記事の中で、「次郎物語」映画化が決まって打ち合わせをしたのは「今年の晩春の一夜」と野田は書いているのですが、ちょうどその頃にあたる「新風土」4月号(昭和16年4月 小山書店)で、野田は「如何なる文化映画を作るべきか」という特集をしています。「次郎物語」映画化に対する野田の関心の高さがうかがえます。また、映画を娯楽でなく「文化」としてとらえているところに、野田の文学者としての姿勢が感じられます。

野田宇太郎編「新風土 4巻12号」(S16.12 小山書店)-表紙.JPG野田宇太郎編「新風土 4巻12号」(S16.12 小山書店)-裏表紙.JPG

      野田宇太郎 編「新風土」12月号(昭和16年12月 小山書店)。
      裏表紙には、映画「次郎物語」の広告が載っています。

 今回は、さらに野田の映画好きを示す資料をご紹介します。野田が同人として参加していた文芸誌「街路樹」第2巻第1号[昭和6(1931)年1月 街路樹社]の裏表紙です。

「街路樹 2巻1号」(S6.1 街路樹社)-表紙.JPG「街路樹 2巻1号」(S6.1 街路樹社)-裏表紙.JPG

      江藤九州人 編「街路樹」第2巻第1号(昭和6年1月 街路樹社)

 右の広告に「野田宇太郎商店」とありますが、これは、野田が営んでいた文具店のことです。
 昭和5(1930)年、21歳の野田は、小郡市松崎の実家を処分し、久留米の旧制明善中学校の近くに文具店を開きました。この店は、半年もたたないうちに経営に行き詰まり、閉店してしまうのですが、詩作と読書にうちこむ野田を慕って文学青年たちが集まり、まるで文学サロンのような文学的交流を深める場となりました。この広告は、閉店する少し前に出したものと思われます。
 「文具・・文具・・文具・・」と、文字の大きさを変えた表記がユーモラスな野田宇太郎商店の広告ですが、文具店にもかかわらず「キネマ旬報予約申込募集」とあります。「キネマ旬報」は、キネマ旬報社が大正8年に創刊し、現在も刊行している映画雑誌です。文具店で映画雑誌の予約を取り扱うというのは、あまりないことです。野田は、文具店経営のついでに好きな映画雑誌を入荷していたのでしょうか。それとも、「街路樹」読者から「キネマ旬報」定期購読の発注も得ようという経営者としての判断だったのでしょうか。いずれにせよ、野田が青年時代から映画に興味を持っていたことが分かります。
 ちなみに、この「街路樹」第2巻第1号に、野田は「北」という詩を発表しています。この作品は同人たちに激賞され、野田の第1詩集「北の部屋」出版のきっかけとなりました。野田の詩人としての出発点ともいえる雑誌なのです。

(※)文中で紹介した野田の執筆記事「撮影所に次郎を訪ふ」〈「新風土」12月号(昭和16年12月発行 小山書店)掲載〉は、『野田宇太郎文学資料館特別企画展 野田宇太郎―激動の時代を駆けぬけた編集者― 資料編』(平成29年 野田宇太郎文学資料館)に収載されています。お読みになりたい方は、野田宇太郎文学資料館(Tel:0942-72-7477)までお問い合わせください。